マタイ7:1〜5
 さばいてはいけません。さばかれないためです。
あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。

私は、昨晩、ある事を通してさんざん人を批判しました。
起こっている内容について、私は私の判断は正しいと、何ひとつも疑っていませんでした。

しかし、翌朝、神の前に祈っていると昨晩の事を思い起こさせ「さばいてはうけません。さばかれないためです。」と、静かかたられました。
私は、はっとして、深く悔い改めました。

私たちは、お互いに異なった個性、考え方があり生かされている環境が異なります。
ですから、何か問題が起こったとき、つい自分の量る量りで、裁いてしまいます。
しかし、自分は正しいと思っているのは自分だけ私たちは、自分が完璧に正しくなることはできない弱い者です。
私たちの判断で人を正しく裁くことはできないのです。
人を裁けば、自分も裁かれるのは必然です。
それは、神の法則だからです。
ですから裁き合いの世界が広がっていき、そこには神の御心が存在できなくなります。

心得ておくことは、裁くことは、私たちの仕事でないと言うことです。
イエス様でさえ、裁かないと言われました。
裁くことは、父なる神様がされる最高権威なのです。
私たちに神様が与えた戒めは、お互いに愛し合うこと。
イエス様が愛したように愛すること。
そして、聖霊様によって一致すること。
お互いのために祈り合うことです。